魏史倭人伝の【及】の用法について

1.はじめに

倭国についておよそ二千文字で記載している魏志倭人伝は江戸時代の新井白石・本居宣長から現代にいたるまで多くの研究者によって細部に渡って論じられてきたが、女王の都である邪馬壹国の所在地問題を始めとして、いまだその全貌が解明されたとは言い難い。本稿では【及】という語に注目して、今まで見過ごされてきた一文の新たな解釈を提案する。

2.【及】が使われている場所

倭人伝では以下の2ヶ所で【及】の語が使われている。
 A) 其犯法輕者没其妻子重者没其門戸及宗族
 B) 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津捜露傳送文書賜遣之物詣女王不得差錯
【及】には『前後の事柄が並列の関係にある』ことを示す接続詞としての意味・用法があり、その訓読「およぶ」の連用形である「および」は日本語でも同様の意味の語として定着している。(A)においては「其の門戸 及び 宗族」と訓読して「門戸」と「宗族」が並列の関係にあると解釈することに異論はないであろう。
多くの研究者は2つの事柄を並列するこの用法を(B)にも適用して解釈を試みているが、その結果は以下に示すように不自然な日本語、不自然な意味となっており、素直には受け入れ難い。本稿では(B)の用法について考察する。

3.鳥越健三郎の解釈

(B)の部分を、鳥越健三郎の「中国正史 倭人・倭国伝全釈」(中央公論新社 2004/06)は以下のように訓読している。
「王の使いを遣わして京都・帶方郡・諸韓國に詣(いた)り、及び郡の倭國に使いするに、皆津に臨みて捜露し、文書・賜遣の物を傳送して女王に詣るに、差錯するを得ず。」
読者はこの訓読を、日本語として十分に熟しておらず分かりにくいと感じるのではないだろうか。そう感じるのは以下の理由に基づくと思われる。
 a) 鳥越はこの【及】を「前後の語句が並列の関係にある」ことを示す接続詞ととらえている
 b) しかるに、日本語の「および」が前後の名詞・名詞句を繋ぐ語であるのに反し、前後の要素を動詞で終わる文節として訓読している
この訓読のわかりにくさを鳥越は続く解説で以下のように乗り越えようとしている。
「書かれているのは(中略)倭國から魏朝や韓国へ赴く使節をはじめ、それらの国から来訪する使者たちの取り締まりである。さらに女王への文書や贈り物を届けるのに、絶対に支障がないということである。」
しかし、残念ながらこの解説は訓読と整合していない。
まず、「はじめ」という語を用いて前後の節を結んでいるが、原文に現れるのは「倭國から魏朝や韓国へ使節が赴く」件と、「郡から使者が来訪する」件だけであり、それを【及】が結んでいるという解釈である。したがって、「はじめ」ではなく素直に「および」とすれば十分でる。なぜ「および」としなかったか、その理由は単純で、続いて書かれている「さらに女王への文書や贈り物を届けるのに、」が「郡から使者が来訪する」場合だけに該当し、「倭國から魏朝や韓国へ使節が赴く」場合には該当しない情報だからである。つまり、意味としては「および」ではないのだ。
そこで鳥越は原文に現れる「及」の訓である「および」という日本語を捨てて「はじめ」を用い、原文にない「さらに」を補って日本語としての辻褄を合わせている。この無理な処置は鳥越の解釈に無理があることに起因すると結論するほかあるまい。
倭人伝を論じている他の数冊の書籍を参照してみたが、古田武彦の「倭人伝を徹底して読む」を除いてはほぼ同様の訓読と解釈になっている。佐伯有清の「魏志倭人伝を読む」(吉川弘文館 2000/10)は他の研究者の解釈も参照・比較して数ページを費やして該当の文を検討しているが、【及】を鳥越とは異なる文法的位置づけで論じている研究があることを報告していない。したがってほぼすべての研究者が拙稿の疑問を解決できていないと考えてよいだろう。

補注。 本稿の主題とは離れるが、鳥越が「それらの国から来訪する使者たち」としているのも正しくないことを指摘しておく。原文は「郡使倭國」であるから、「郡から来訪する使者たち」である。倭王は諸韓國にも使者を送っているのだから「それらの国」からの使者も来訪したと想像できるが、それは原文には書かれていない

4.古田武彦の解釈

管見の限りでは唯一、古田はこれと異なる訓読をしている。古田の訓読は以下のとおりだ。
「王の使を遣(つか)わして京都・帶方郡・諸韓國に詣(いた)らしめ、郡の倭國に使するに及ぶや、皆津に臨みて捜露す。傳送の文書・賜遣の物、女王に詣るに差錯するを得ざらしむ。」
残念ながら【及】については書籍のタイトルに謳う「徹底して読む」ことの対象となっていないので、古田がこの一文をどう解釈したかについてはこの訓読以上の理解を得ることができない。しかし【及】を「文節を導く動詞」として「及ぶや」と訓読しており、他の論者が接続詞の「及び」と読んでいるのとは異なる文法理解をしていることは読み取れる。残念ながら訓読というものの性格上、漢語の文法に正確に対応した翻訳にはなっておらず、古田の解釈を細部に至るまで理解・復元することができない。

過去に多くの研究者が解釈に苦労している部分であるが、全体の意味をとらえること自体は難しくない。
「(倭)王は魏朝・帶方郡・韓の諸国へ使節を送っている。また、郡が倭國に使節を送った場合には、港にて文書と贈り物を捜露し女王に傳送して差錯を起こすことがない。」
これ以外の理解のしようはあるまい。したがって、「及郡使倭國」は「 郡が倭國に使節を送った場合には」という意味なのである。そして全文をこのように理解した後に古田の訓読を読み直せば、古田が【及】のあるべき文法理解に立っていることがわかる。古田とは異なる訓読が大勢である状況を見ればこの部分も「徹底して」読んでほしかったと残念である。

5.新たな解釈の提案

実は、【及】には上記の「意味の通じる解釈」にぴたりとあてはまる意味・語法がある。『全訳漢辞海』(第2版;三省堂)には以下の説明が見える。
 【及】《前置詞》
 (意味) …の機会に。…に乗じて。《利用する条件を示す》
 (例) 及其未既済也請撃之
 (訓) 其の未だ既に済(わた)らざるに及び、請う之を撃たん
 (訳) (楚軍の)全員がまだ川を渡りきらないのに乗じて攻撃したい

原文の【及】にこの意味・語法を適用すると以下のように訓読できる。
「王、使いを遣わして京都・帶方郡・諸韓國に詣らしむ。郡の倭國に使するに及ぶや、皆津に臨みて文書・賜遣の物を捜露傳送し、女王に詣るに差錯するを得ず。」
この訓読によって得られる各語句の解釈を以下さらに詳細に検討しよう。
 1) 王遣使詣京都帶方郡諸韓國
倭王が京都・帶方郡・諸韓國に使節を送っていることをここに述べている。後に続く【及】以下はこれとは別に、郡から使者が来訪する件について述べたのもであるから、文はここで切れる。
 2) 及郡使倭國
郡が倭國に使節を送ってくることがわかる。【及】は前述のとおり「…の機会に」の意味を持つ語である(『全訳漢辞海』はこの語を前置詞としているが、品詞に関しては諸説あろう)。また、【及】が前文とは別個の「場合」を表す語であることによって、全体を二文に分けて読むことの正当性が確認される。
 3) 皆臨津
「皆」は「郡から使者が来訪する 、その全ての場合に」と解釈する。
「臨津」は「(伊都国の)港というまさにその場所にのぞむ」という『臨場感』のある表現だであり、単に「港で」より強い表現と感じる。
 4) 捜露傳送文書賜遣之物
「捜露」は「さがし、あらわにする」である。文書賜遣之物を女王に届けるにあたって「不得差錯」と書かれており、この「差錯し得ない」ことを保証する必須の手順が「捜露」である。倭國側が搬送の責任を持つその出発点である港において「捜露」することによって「差錯」がないことを確認した後に責任を持って「傳送」するのだ。
 5) 詣女王不得差錯
「差錯」はなんらかの不整合である。そして不整合が起こるのは一般には現実と情報の間である。本件の場合、具体的には「文書・賜遣之物という現実」と、「目録に記されている情報」の間の不整合と解釈するのがよいだろう。

以上の検討を踏まえた最終的な解釈を以下に提示する。
「倭王は、京都・帶方郡・諸韓國に使節を派遣している。また郡も倭國に使節を派遣するが、その場合は必ず、倭國の担当官が港に臨場し、文書・賜遣の物をすべて確認して傳送するので女王に届くに間違いの起こる余地がない。」

6.まとめ

「及郡使倭國」というについて【及】を「および」という並列の接続詞ではなく、条件を示す従属節を導く詞と理解することで文全体のすっきりした解釈を提示できたものと思う。論じ尽くされている感のある魏志倭人伝の基本的な語句の解釈でこのような問題提起が可能であることは驚きである。

以下のリンクからPDFファイルを開くことができます。

魏志倭人伝の【及】の用法について

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